東北大震災…大津波から、10年。
その直前に、余震の地震が、また、東北を襲いました。
どれだけ、いじめれば、気が済むのというくらい、この10年は、被災者にとっては、
長く苦しい10年・・・簡単に言えないほど、辛い10年だったでしょうね。
日本海側にいる、わが家は、地震もあまり感じなかったんじゃないかな。
TVを、義両親が見てて、東北で大きな地震後、私が下に降りると、
画面は、あの大津波を写していたような・・・。
東北には、義両親にとって息子親子が住んでるので、気が気じゃなかったと思うわ。
私も、連絡したいけれど、むやみにかけると、回線がパンクすると聞いてたので、
気になりながらも、掛かってくるまで、様子見でした。
夫だったか、義姉だったか、夜に、皆、無事だと・・・義両親も、ホッとしたと思うわ。
後で聞いたら、会社の1m近くまで、津波が来てたと。Σ(・□・;)
その後、皆もご存じ、ライフラインが・・・。
その時、まだ、姪は子供を産んだ直後で、病院にいたらしい。
退院後、弟の自宅で、皆が肩寄せ合って過ごしてたらしい。
一番困ったのが、赤ちゃんの沐浴だと聞いたような・・・。
ガスコンロで色々やっていたらしい。
でんき。ガス、水道・・・大変だったでしょう。
同じ仙台でも、閖上地区の画像を見ながら、あの辺りでなくて良かったと見てました。
青葉区だったと思うな。
あれから、10年。
義弟夫婦は、奥さんの母親が一人暮らしになり、面倒を見る為に、
仙台を離れ、盛岡へ。
姪夫婦は、ご主人が公務員なので、今も青葉区に住んでいます。
あの時、生まれた、姪の長男君、8日で10歳になったのよね。
アレルギーが強くて、食事が大変だった時期があるらしいけれど、
かなり、落ち着いたらしい。
その後、次男くんも生まれ、今、1年生。
もう、東北の人たちを、苦しめないでくださいネ。
原発汚染で、故郷に戻れない人もいるので、復興が進んでいるとはいえ、
広範囲だった地震の影響は、まだ、始まったばかりのような気がする。
それに加え、コロナ禍で、失業者が・・・。
戦後を知らない私ですが、なんだか、戦争がない代わりに、
こういうことが起きてるのかとさえ、思うこの頃・・・同じ状況なのじゃないかと。
北国の片田舎で、のほほんと暮らせていることに、今日も感謝しないといけませんね。🙏
食べていける程度、着るものがある幸せ、寝る場所がある有難さ、
皆、当たり前と思わないようにしてなきゃいけないのかも。
どこで何が起きるか分からない昨今、防災の事を真剣に考える日にしましょう。
わが家…何もしてません。
地盤がしっかりしてるので、つい・・・。
叔母が、入院グッズを定期的に入れ替えつつ、準備してるのだと、
母から、聞いたことがあるので、せめて、それくらいはと・・・箪笥の片隅に
まとめて置いてるだけ。
当地も、2年前のロックダウンを経験してるのにね。
懐中電灯、ストーブ、水・・・。
私が、一番危険な場所に寝てるの・・・なんとかしたいねえ。
左に本棚、右に箪笥・・・倒れてきたら・・・怪我するかもね。
夫は・・・テレビ、サイドボード…同じく。
防災訓練、真面目にとりかからないとですね。